誠信堂徒然日記

まちづくり、地域のこと、旅行記、教育や社会問題等徒然と。

最近読んだ本(1)

「地域のあらゆる人に開かれている学びの環境を作る」という最近の興味も含め、こんな本を読んだので、感想や気づきを含めたメモ。

鷲田清一 監修 カフェフィロ編『哲学カフェのつくりかた』大阪大学出版会、2014年。

ここ最近、「市民討議会」とか「フューチャーセンター」、つまり「対話」や「議論」による課題解決の場に参加したり、ファシリテーターを引き受けることが多い。だが一方で、「目標や到達点を明確に定めるものよりかは、もうちょっと緩やかなものを気軽に頻繁に開けたら」という思いもある。

たまに参加する「シリーズとつとつ”文化人類学カフェ”」がおもしろいので、「こんなんが開けたら良いな」と思っていたところで手に取ったのがこの本。内容は、編者の「カフェフィロ」のメンバーによる哲学カフェ等、対話の場の実践記録である。

まず、冒頭の「監修者のことば」からうなずかされるフレーズの連続。

「哲学カフェで重要なのは、知らないことを知るための問いではなく、知っていることを改めて問うような問いである」

「哲学カフェは、物事についての同意や、問題の解決ではなく、問いの発見、問いの更新をこそめざすということである」←ここ大事。多くの「まちづくりのワークショップの類」と違うところ。

「ある考えが、それをだれが最初に言ったのかが不明なときには、哲学カフェは成功したといえる。あるいは、会を重ねるごとに、参加者自身が他の参加者の表情に目をはせ、議論の流れを探りながら語るー『空気を読む』というのではなく、語るべきときに語るーという、いわばファシリテーターの役を兼ねるようになると、語らいの水準が一段上がるようにおもう」

ややもすれば「ファシリテーター」の役割を全うするために汲々としていたなあ、という反省もかねて、新たな気づきを与えてくれる。

他にも「哲学カフェ」の実践者による記述にはなるほどとうなずかされるものが多い。個々の記述の紹介は省くが、共通するのは、「あたりまえと思っていることをテーマに改めて話し合ってみる」「対話の場や機会、あるいは対話そのものの持つ意味や力」ということだと思う。

バリエーションも工夫次第でいろいろできそうなので、授業ばかりでなく、積極的に地域で「哲学カフェ」のような対話の場を開いていきたい。