誠信堂徒然日記

まちづくり、地域のこと、旅行記、教育や社会問題等徒然と。

商店街・中心市街地活性化フォーラム

表題のフォーラムに参加した。

その概要の報告。

基調講演 「商店街活性化とまちづくり」大阪学院大学教授 田中道雄

今、我々が直面しているのは、「経済の劇的な変化の時代」である。

その中で我々が常に考えておくべきことは、既存路線の延長ではなく、システム転換や構造転換が必要ということである。

今日の日本においては、物販比率の低下とサービス消費率の向上という変化がある。その変化の商店街にとっての意味とは、「モノを売る」から「サービス」への転換ということである。つまり「既存の物販路線」はなかなか結びつかないということだ。

可処分所得における小売業への支出率の低下という、日本における商業環境の変化の流れは、欧州の動向とも似ているところがある。例えばドイツ。この20年で可処分所得は増加しているのに、小売業への支出比率は42.5%から25.9%にまで低下した。では、何に支出しているのか。それは、情報、運賃、住宅、エネルギー、レジャー等である。

もう一つドイツではディスカウントの隆盛がある。ディスカウントストアに並ぶ商品は安い割に品質が良い。小売支出で浮いたお金をレジャー等に回しているのである。

ディスカウントの台頭で、欧州でも価格破壊が起こっている。この動きは日本にとっての先行指標になるかもしれない。では日本はどうするべきなのか。

商店街も今までと違う考え方からしかブレークスルーはない。

まず、かつての商業において商店街は「正規軍」であった。日常の買い物は商店街の店舗しかなかったからである。しかし、今の商店街は「ゲリラ」だ。つまり、地域に潜み、神出鬼没に地域の中で生きるところに強みがある(「ゲリラ」なのに、“日曜定休”はないだろう)。

次に交流の武器は「情緒性」にある。機能性では大型店には絶対に勝てない。ある商業者が言っていた「大型店はバリアフリーになっている。商店街はそうではない。しかし、お年寄りや体の不自由な方に手を貸すことができる」。

それから地域の目標に商店街がどう合わすのか。目標像の確立が地域や個店のブランド化にもつながりうる。例えば吹田の商店街は「エコシティ」という地域の目標を受けて、中心市街地の商店街がその窓口として、アーケードに太陽光パネルやドライミストを設置したりした。目標像をわかりやすい形で見せている例は多い。

埋もれた資源を目に見える形にすることも必要だ。見える資源(雰囲気や施設、建物・景観等)と見えない資源(人材等)を組み合わせたり、消費者目線に近い女性の取組、あるいは大学との連携や活用もある。

周辺とのつながりを目に見える形にすることは、本丸(商店街や個店)のパワーアップにつながる。

そして、まちづくりの成果を目に見える形にすることも大切なことである。概ね商店街はアピールが下手。また、まちづくりの成果は風化するので、その努力を数値や形に残したり、マンガで示すといった形で誰にでもわかるような工夫が必要。そのような取り組みをするのに商店街の内部だけでする必要はない。それから私がかねてから主張している「まちづくり会計」(地域への貢献をビジュアルにし、毎年の積み重ねが見えるようにする=地域への貢献の「見える化」)という考え方を導入しても良いだろう。

今後の商店街に求められることは「モノ売り商店街からコト売り商店街へ」ということである。「そんなことは前から言われている」と思われるかもしれないが、これからはそのことをもっと意識する必要があるだろう。「一店逸品+魅力サービス」、コトの演出と地域資源がセットされた「魅力街」への転換という視点である。

そのためには、女性戦力の強化や1店1代表の旧来型商店街からの脱皮、家族や従業員を含む商店街の人財集団、NPO、地域団体、コミュニティビジネス(CB)等への働きかけと協働等を志向すると良い。NPOや地域団体、CBのパワーを取り込むためには、家賃の低減や人間関係の向上、仲間としての交流等、活動しやすい条件に努力しなければならない。

最後に、商店街構造転換の先兵はおかみさんだ。元気な商店街はどこでも女性が元気である。「女がわからずにモノが売れるか」とは昔からよく言われている真実であるし、商売のネットワークや地域コミュニケーションの旗手も女性である。

事例発表1

「京都・伏見大手筋商店街における取組」和田登美子氏(伏見大手筋商店街振興組合理事)

取組を始めたのは平成18年頃。当時は「商店街は商店街」、「NPONPO」で両者の接点はなかった。

「ぱおぱおの家」は、子育て支援で取った補助金で開始した事業。

平成19年、京都文教大学臨床心理学科のキャンパスがまち中にオープン。

商店街の人は内輪で固まろうとするが、それはだめ。

やりたいこと、楽しいことをやる。

得意でないことは得意な人を巻き込むこと。

事例発表2

「神戸・長田神社前商店街における取組」村上季実子氏(長田神社前商店街振興組合地域活性化部長)

長田神社前商店街は、大正9年頃に、長田神社の参道商店街として発祥、発展してきた。現在300mに組合加盟店55店舗。

「タメ点カード」は、「私たちが作りたい」「お客さんに喜んでもらえる」「いつも財布に入れてもらえる」カードを目指して作ったものである。経費は極力抑えた。

震災後、商店街と市場とで協同カード事業を行うことになった。その仕様を決定するために、毎週水曜日夜に有志メンバーが集まり、専門家を交えて検討会を実施したのが水曜会の始まり。

その水曜会に芸術大生や企画会社などが集まるようになり、地域イベントについても議論されるようになった。

事例発表③

舞鶴・八島商店街における取組」伊庭節子氏(八島おかみさん会会長)

かつて買い物といえば商店街しかなかった。八島商店街に出掛けるのを「まちへ行く」という時代があった。

商店街の店の主婦は「店番が仕事」だった。主人が視察に行くときも留守番(でも視察内容を聞いたことがない)。

店番をしていると人通りが減りだしたことを感じたのが1990年頃。これまでのような「目立たない奥さん」ではだめ。女性の視点を入れないと衰退するという危機感のもとで発足したのが「八島おかみさん会」である。

「おかみさん会」は、商店街組合の女性部ではなく、任意団体である。

まず、女性たちで視察旅行や勉強会を行った。その経費もみんなで出し合ったものである。お金はないけど、知恵を出す、力を出し合うというスタンス。

大型店の店員の仕事は「ものの売る、お金のやりとり」である。それに対して、おかみさんとしては、まちの情報ぐらい知っていてちゃんと話せないとならないということで、自分たちでまちを歩き、マップを作ったところ大きな反響があった。

マップやグッズを作り、それが収益となって、自分たちで視察にも行けるようになった。

では、「男たち」はどうか。やれ「補助金がないとできん」と言ったり、そうかと思うと、「慰労会」という名目でその費用が商店街費から落ちていたりする。

空き店舗がどんどん増えていく中で、1店でも埋めたいという思いで開いたのが日替わりシェフの店「八島いっぷく亭」である。これは四日市の日替わりシェフの店からヒントを得たものであり、補助金目当てでやったのではない。

でも、店の奥さんは店番があったりして、会合にも出られないことが多い。そこで会報を出して共通認識を図った。

行政に頼らないでも、また自分の店だけでなく商店街が盛り上がるような取り組みを続けていると、まちが盛り上がり、市街地が活性化するようになると思う。