誠信堂徒然日記

まちづくり、地域のこと、旅行記、教育や社会問題等徒然と。

移籍後初のフィールドワーク

この4月に本務校が変わった。

新しい職場は新学部。1回生しかいないので、本格的なフィールドワークは、演習の始まる次年度以降かと思っていたが、早くもその機会が巡ってきた。

フィールドは大学が立地する北区上賀茂学区。地域と学生とが連携して「学区ビジョン」を策定するにあたり、その担当となったのだ。

6月に地域、行政の担当者と顔合わせを行なったのだが、地域から来られていた方は、大学院時代、何もわからずにまちづくりの世界に飛び込んだ頃知り合った、元行政職員の方だった。

実は、こうした”再会”が前職でもあった。本当に偶然なのだが、それによって、一気に緊張はほぐれ、人間関係の構築もスムーズになるので本当にありがたい。

2ヶ月間、学生を連れて地域の方との話し合いの場に出向いたり、様々な調整を行なって、8月5日、地域のお祭りで学生たちが住民の方たちにインタビュー調査を行うために、お祭りの会場となる小学校に出向いた。

じっとしていても汗が吹き出る蒸し暑い中、上賀茂神社に集合し、11名の学生たちと小学校へ。校庭にはすでにステージやテントが設営されていた。暑い中、地域の方々が総出で準備をされてきたことがうかがえる。

学生たちとともに、挨拶に伺い、調査を開始する旨を伝え、調査開始。学生たちは、この間練ってきた調査票を手に、来場者や出店者の方々に地域について考えていることを質問して行く。これを集計し、夏休み明けに地域で報告会を行うのである。

学生たちは、最初戸惑いながらも、”予想以上に”スムーズにインタビューを行っていき、1時間あまりで60人以上の方々にインタビューを行うことができた。

そんな中、突然の夕立。なかなか止む気配がないため、調査は一旦打ち切り。質問数のノルマは達したとのことで、調査を終えることにした。学生たちが帰ろうとするので、調査終了の旨を報告、お礼の挨拶に行くことを促し、調査は終了。1時間近くの雨宿りで学生たちも疲れている様子だったので、ねぎらいの意味も込めて夕食に連れて行く。

食事をしながら、学生たちと話をしていると、「自分が学生だった頃にもこうして食事をしながら打ち上げのようなことをしたなあ」と思い出した。

その後、「まだ試験真っ最中」の学生たちと別れ、再びお祭りの会場へ。雨も上がり、月空の下、お祭りは再開されていた。会場には行政の担当の方々も来られていて挨拶。盆踊り、花火などむしろこれからがクライマックスであることを考えると、学生たちを連れて来られなかったことを悔やむ。

結局自分はお祭り終了まで会場にいたが、地域の方々はこれからぬかるんだ校庭で、濡れたテント等を撤収するはずである。そこまで想像すると、「果たして調査だけでよかったのか?」という疑問も湧いてくる。確かに、今回学生たちがやると決めたことは「来場者、地域の方々へのインタビュー」である。しかし、地域に入れば入るほど、「それだけ」では済まなくなる。なぜならば、お祭りという「表舞台」の裏でそれ以上の時間と労力をかけて準備や撤収に勤しむ人たちの姿が、「顔と名前を把握した個々のキャラクター」として想像できるようになるからである。そして、こうした「舞台裏」にこそ、地域の”真の姿”が潜んでいるからである。

移籍後初のフィールドワークで、こうした地域の実態、リアル、ダイナミズムについて伝えることができなかったのは反省点。だが、地域に関わる中で、自分たちが「第三者」のままではいられなくなることはわかるはず。それまでは足繁く地域に通う。そして話を聞く。矛盾やモヤモヤも見せる。こうした姿を見せていきたい。

思えばおよそ20年前、会社員の身分を捨てて研究者・活動家への道を歩みだした。

そして、その頃出会った人たちと引き続き、あるいは”再会”を果たして、現在、仕事をさせていただいている。これも何かの”ご縁”なのだろう。多くの「現場の人たち」に出会ってきた。その人たちと共に、汗をかきながら、ともに考えながらまちづくりに関わってきたことは、20年近く前に再び学生になってからも、10年近く前に教員になってからも、変わらないスタンスである。

そこで、この20年間に指導を受けた、あるいは薫陶を受けた人たちから、自分は何を学んだのだろうかと考えた。思い起こしても、あまり「手取り足取り」何かを教わった記憶はない。むしろ、その人たちの「現場への向き合い方」を見て学んできたことが多いような気がする。

さて、これからは、自分が学生たちに持っているものを伝え、育てて行く番である。自分は学生たちに対して、今後「背中を見せて」伝えて行くことができるだろうか。