誠信堂徒然日記

まちづくり、地域のこと、旅行記、教育や社会問題等徒然と。

シンポジウム「フィールドワークってなんだ?」備忘録

1月11日、北九州市立大学で開催された、公開シンポジウム「フィールドワーク教育ってなんだ?」を聴講してきた。

金曜日、ウェブ上でたまたま目に入ったこのシンポジウムに、現在の仕事、自分の研究等、ぴったり当てはまると思い、急ではあったが参加申し込みをした。

以下、その備忘録である。

朝10時から、「環境教育再考」「第3のSST(Social Skill Training)」「市場のテクネー」「野研という可能性」という4つの報告と、その後に3名のディスカッサントによる報告を受けての問題提起、そして最後に総合討論という構成。夕方5時過ぎまで実に7時間を超える長丁場であった。

最初の報告「環境教育再考」では、高校の部活「魚部(ぎょぶ)」が部員が全国各地、幅広い年代の参加によって、「市民のブカツ」的存在になったというお話。

生き物、自然にワクワクする人たちが、何らかの関わりを持つ「場」としての魚部の存在、そして図鑑や冊子の発行によって、成果を社会に投げかけていることなどが紹介された。

「知ること」とは予定外への期待が前提であり、「予定外」が新たな知見の獲得や活動意欲の源になっているという指摘はその通りだと思った。

次の報告は「第3のSST」として、「市場から人づき合いを学ぶ『たんたんマルシェ』」。精神科リハビリや、学校教育で実施されているSST(Social Skill Training)を旦過市場にある「大學堂」で実施したことで見えてきたことについての紹介。

旦過市場の空き店舗を活用して作られている「大學堂」で、2014年11月から実施されている「たんたんマルシェ」では、親子で参加出来るプログラムが準備されている。このプログラムには大學堂で出される「大學丼」(丼によそったご飯だけで、上に乗せるおかずは市場でめいめい調達する)が含まれている。

対象が限定され、予めターゲットスキルやモデルなどが設定されている精神科や学校のSSTに対し、たんたんマルシェは実施場所が「大學堂」と設定されているだけで、あらゆる方がやってきて、そこで交流が始まり、予定外の出来事がしばしば起こる。そういう場を通じて、親も子も行動の変化が見られたという。親の変化としては子供と離れて買い物ができるようになった、とか子供の遊びへの介入が減ったといったこと。また子供の変化としては、会話をしないと物が手に入らない、いつもと違うものを食べるといった経験を通じて、子供と商店主とのコミュニケーションが生まれたという。

報告では状況的学習が可能な場としての「市場」の存在、そこでは異なる世代、異なる職業の「異なる他者」がたくさんいる。また安定したコミュニティが形成され、高いスキルを持った大人が大勢いる。こうした体験は、幼児期にすることが大切だという。

3番目の報告、「市場のテクネー」では、「大學堂の実践に見られるシナリオをアドリブ」という題で、学生時代から大學堂に関わり、現在は講師としてその運営に関わっている立場からの経験とそこでそこでの気づきを語られた。

二つの知識体系として、分析的、明晰的、理知的、普遍的な「エピステーメー型」と全体論的、暗示・パーソナル的、実践的な「テクネー型」とがあり、フィールドワーカーに必要な要素は後者が大きいという。

また社会的に設定されたストーリーであり、目的や到達目標のある「シナリオ」とシナリオを逸脱する行動や行為であり、やってみないと結果はわからない「アドリブ」が存在するが、学生時代から大學堂に関わった経験から、大學堂という拠点における「シナリオ」と「アドリブ」の両義性についての話があった。

一方、アドリブを期待されて始めた大學堂だが、「地域貢献、観光資源」というしたたかに描いたシナリオに油断すると乗っ取られてしまうのではないかという「アドリブとシナリオ逆転の危機」も感じているという。特にここ10年ぐらいの世間の変化を見ると、シナリオ的なものへの評価が高まり、学生もプログラムとして安心、失敗しないものを好む傾向があるという指摘は、大学院時代から数えて10年大学人として地域にかかわる自分としては納得できる。

こうした「危機」を回避するためには、「騙されない心を鍛える」「シナリオを常に疑う」「フィールドワーク力(アドリブ経験の多様さ)を鍛える」ということもよくわかる。

4番目の「野研という可能性」では「正統的周辺参加によるスキルからアートへ」というタイトルで、九州フィールドワーク研究会(野研)の誕生の経緯と、フィールドワークの意味や意義、またその醍醐味があますところなく伝えられた。

フィールドワークから発見する(歩いて、見て、聞いて、それを伝える)、経験から人づきあいを学ぶ、研究の料理のメタファー(自分で手に入れた素材が一次事例、料理法と組み合わせが分析と考察、試食会がゼミや論文検討会にそれぞれ当たる。「おいしく食べられる料理を作る」こと)、退路を断つ(「やらされた」という逃げ道をふさぐ)、才能のある人の力を借りる才能、プロ意識、incentiveではなくmotivation、教員の仕事はプロデュース…といった興味深いフレーズがいっぱい。

そして「野研的フィールドワーク教育の可能性」として、「シナリオ化」が進むのは状況よりも制度に依存するから、フィールドワーク教育とは、常識や社会技能を学ぶ場にとどまらず、むしろ常識や社会技能を疑い、壊す試みを目指すべきではないか、と締めくくられた。

最後は総合討論。4人の報告とそれぞれへのディスカッサントの問題提起をもとに「16人の」パネルディスカッション。特に話がまとまったわけではないが、自分としては、フィールドワーク教育を行っていくにおいて、次のようなことを考えた。

・予想外の出来事、予想外の成果を受け入れる。その評価は?

・異なる他者との交流を意図的に行う。

・アドリブをシナリオに織り込む。

・成果を他者に伝える、そして共に考える(伝え方を学ぶことも重要)。

・経験を「自分事」にする。

・フィールドワーク教育の効果は「後から効く」のか?だとすれば、「授業評価」としてどうする?

自分としても、現在の教育研究における実践を、今回のシンポジウムの議論と照らし合わせてどう評価するのか、また、いかに仕事の中に取り入れていけば良いのか。まだ答えが出たわけではない。だが、少なくとも感覚的にではあるが、自分が支持している考え方とはかなり近いのではないかと考えた。

帰りの新幹線で夕食。会場で買ったおにぎりと旦過市場で買った小倉の郷土料理・イワシのぬかみそだきで、図らずも「大學丼」になった。笑

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