誠信堂徒然日記

まちづくり、地域のこと、旅行記、教育や社会問題等徒然と。

2015年大原神社の節分祭

 京都暮らしが長くなり(あるいは年齢を重ね?)、年間行事の中で楽しみになってきたのが節分である。

 京都では、吉田神社壬生寺等、節分で有名な寺社が多く、人出もあるので自ずと目がいくようになったのかもしれない。

 また、元々節分の花街における行事で、おのおの仮装を楽しむ「おばけ」(10年ほど前に1度参加したことがある)や、派手さはないが、しみじみと美味しい節分の食べ物も楽しみである(但し、「巻き寿司の丸かぶり」は個人的には興味を持てない)。

 1年で一番寒い時期ではあるものの、次の日が立春という、春に向けての期待を感じられる日でもある。そして、節分のルーツである「追儺」は年越しの行事である。つまり、「新たな年を迎える」という一面もある。

 さて、京都に暮らし始めて28年、これまで基本、京都で節分を迎えて来たが、今年初めて、職場のある京都府北部、福知山市三和町の大原神社の節分祭に参加することになった。これは、職場の大学と、大原神社のある地域団体とが結んでいる協定に基づいて、「学生がゼミや授業で地域に入らせていただく」「地域の課題や要請に大学が応える」「その中で学生が地域からお世話になったり、大学が課題解決に向けた報告会や提案を行ったりする」という関係を構築する中で、信頼関係を築いてきたからである。今回も、地域から「節分祭の“鬼役”を学生さんにお世話になれないだろうか」という地元の要請に応えての参加であり、なかなか楽しめたし、得るものも多かった。そこで、三和町大原神社の節分祭に参加しての備忘録として、「フィールドノーツ」的に書き留めておこうと思う。

2月2日(月)

 試験監督を終え、諸々の書類作成を切り上げて、17時半過ぎに大原神社に向けて出発する。この日のヘルプメンバーは、私の他、中国人とアメリカ人の教員。地域からは「学生さんに」という要望であったが、折しも定期試験中。あまり無理を言うことはできないので、人選には苦慮したが、同僚の教員たちは快諾してくれた。

 18時半前、大原神社に到着。同僚の教員を地元の方々に紹介し、着替えにかかる。衣装は赤鬼、青鬼それぞれ、面、髪、上下(パッチだったり、スウェットだったり混じっている)、地下足袋、虎模様のパンツ、軍手である(白地のパッチ、地下足袋、軍手はそれぞれ赤、青に染められている)。

 鬼役は、地元から3名、大学から3名の総勢6名で、赤鬼と青鬼3人(?)ずつである。

 赤鬼、青鬼、それぞれ選んで着替え。私は青鬼に扮する。体のボリュームがないため、貧弱な鬼である。一方同僚の教員

のひとりは100kgオーバーの堂々たる体躯。強そうな赤鬼になった。

 着替え終わったところで、地域の方々から動き方や鬼の「セリフ」のレクチャー。この日は、「鬼迎え行事」。大原の集落を「鬼」が尋ね歩き、「厄」を家々から神社に持ち帰る、という意味のものである。雄叫びを挙げながら家に入り、「鬼が来たぞ!」「厄持って帰るぞ!」と言うそうである。

 19時前出発。鬼に扮した6名が神社を出る。集落に出る前に、NHKのニュースフィルム用に神社本殿前の石段で撮影。

 その後赤鬼青鬼2人ペアで3班に分かれ、集落の家々を尋ねる。先ほど練習した雄叫びを挙げながら、家を尋ね、升に入れた鬼打ち豆を配る。それに対して家々では用意してくれていたお礼をいただくというものである。また家によってはお酒を

振る舞ってくれる所もある。

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 移動は軽トラ。そこでペアの「鬼」と会話。かつては子どもの声があふれていたが、現在はすっかり寂しくなったとのこと。ここでも若者子どもの減少、流出の影響を感じることができる。この集落を離れている若い親たちも、この節分には帰ってきたくなるようなものになれば良いのだが。

 1時間ほど、我々の班は4軒の家を回って神社に戻る。神社で衣装を脱ぎ、食事と懇親の場。我々は日米中の教員という「国際色豊かな」布陣。日本の文化を守り伝えていく意義について、地域の方々と楽しく語らいながら夜は更けた。

2月3日(火)

 17時半過ぎに大学を出発。この日は留学生を連れて「追儺式」を手伝う。

 18時半前に大原神社に到着。すでに火焚祭の最中。宮司さんの祝詞のもと、総代を筆頭とする地域の方々が参列しており、留学生はものめずらしさのせいか写真に収めている。

 18時半過ぎに着替え。赤鬼と青鬼の衣装に着替える。留学生たちは地下足袋のこはぜの留め方がわからないらしく、手伝ってやる。

 次に、「鬼の動き方」について説明を受ける。爆竹が鳴ったら石段を上り本殿に向かうが、そこで参拝者たちを驚かす。「境内に上がってください」という合図があったら境内に上がり、こん棒を置き、鬼の面を福の面に変え、本殿から参拝者にお菓子を撒くというものである。

 19時過ぎ、境内で待機。しばらくすると爆竹が鳴ったので鬼の出番。追儺式の始まりである。石段を上り、参拝者たちに「襲いかかる」。参拝者たちには鬼打ち豆が配られ、鬼にぶつける。鬼が近づくと泣きわめく小さい子、思い切り鬼打ち豆を投げつけてくる悪ガ(ry。豆を思い切り投げつけられると結構痛い(後から別の鬼役に聞くと豆と一緒に境内の砂利も投げているのではないか、とのこと)。

 しばらく参拝者を驚かすと、合図。本殿に上がり福の面に変えて、お菓子を撒く。まんべんなく撒こうと思うと「遠投」になる。

 大原神社の豆まきのかけ声は独特だ。普通「鬼は外、福は内」だが、ここでは逆。「鬼は内、福は外」である。どういうことか。村の家々で前日にもらってきた「厄=鬼」を神社で改心させ、「福」とし、参拝者や村にもたらすという意味だそうである。

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 お菓子を撒き終わると追儺式は終わり。境内では撒かれた豆の掃除が始まっている。前日のように地元の方と意見交換がしたかったが、留学生たちがアルバイトがこの後あるとのことで、帰路につく。留学生たちは日本の伝統行事に参加して何を感じ取っただろうか。